琵琶湖の右下辺りの街道にある、大名・公家専門の格式の高い宿屋です。
ここに宿帳に当たる大副帳が、奇跡的に大量に残されています。
その中に、あの和宮の記録がありました。
その嫁入りのとき、ここを利用したのですが、供の者なんと3000人。一行がこの街を通過するのに4日間かかったそうです。なんとも。
その後、将軍が亡くなり幕府が倒れて京都に戻り、明治期になって再びここを利用した時、供の者は17人。どんな感慨をもったんでしょうね。
スマホを落として傷心の旅となってしまいました。知人の家を今日発つので、リポートもこれが最後かな。今月末には札幌に戻ります。それでは皆さんさよーなら。