今日は善通寺へ参詣。75番札所でもありますが、なんと言っても「空海誕生(774年)の地」だということです。
町の名前が善通寺市ですぞ。
唐から帰った空海は、807年から6年かけて、ここに善通寺を建てました。33歳。
高野山で金剛峯寺を開いたのは、この後の816年です。42歳。
善通寺の名は、父の「佐伯善通」からとつたとあります。
門に「御誕生所」と書いてあります。
本堂である金堂には、空海が彫った薬師如来像が祭られていました。
その後焼失して、今は仏師の手になる3mの座像となっています。
この座像、高さが3mありますから、立つと1丈6尺になる計算でして、いわゆる丈六仏です。
金堂の他に御影堂があります。
ここには空海の自画像が祭ってあります。
この自画像は、空海が唐に渡るとき、母に自分の姿を描いて渡したものと言います。
当時の航海は、大変危険だったそうですから、母に残す遺影のつもりだったんでしょうか。決死の覚悟を感じます。31歳。
この御影堂は、後世の1249年に造られたものです。空海入定後、400年以上も経ってからのことです。
おばちゃんと足湯。